(網元の家に残されている、数々の調度品の探訪はここへ)
「ハレ」と「ケ」について知っているでしょうか?
「ハレ」は、非日常を表す言葉であり、冠婚葬祭にあたる。
「ケ」は、日常を表す表現である。
この思想を取り入れた日本の古民家はとても機能的に考えられている。
(「ハレ」と「ケ」については、川上 幸生著「古民家の調査と再築」に詳細に書かれている。)
家屋内部の間取りは、式台、玄関、前広間、大広間、仏間、床間、前座敷、奥座敷、茶室などで構成されており、手前二段がハレの空間で、奥の一段はケの空間とし、竪列は建物の中心を仏間にして、右列は広間、左列を座敷となっている。
建物は間口10間半、奥行11間の約116坪。ほぼ正方形平面で、 3列三段平面の二階建て入母屋造瓦屋根になる主屋の四方に、土間や縁を主とした1間半の下屋を付けた構造となっている。
建物の右手端には通常の玄関口を開き中へ入ると幅1間半、奥行10間程(約18メートル)の広々とした通り土間となる。左手の床上境には、分厚い欅の切目縁と内法高には漆塗りの成2尺弱の太いヒラモン(指鴨居)が一直線に通り、奥行の深い独特な空間を作り出している。
正面玄関の左脇には3間幅(6m)の広い式台が設けられ、更に座敷前にも庭から飛び石伝いに入る2間半幅(5m)の式台がある。共に出は1間半(3m)と広く、手前3尺(90cm)を土間にして中央に沓脱石を据え、奥1間を欅の切目縁とし、天井は漆塗りの格天井とする。
ここでは、訪れた様々な方が思い出の撮影をしてきた。
(昔の写真は、こちらから)
通り土間に接した広間は、平物を四周に回すが、梁間材を一段高く成(せい)違いに入れて、下を欄間障子とした特異な構造とする。これは意匠だけでなく柱に仕口穴が集中して構造的に弱くなるのを防ぐためと考えられる。また、広間を間仕切る建具は一般的に漆塗りの帯戸を建て込み固い雰囲気で間仕切るが、濱元家の場合は、採光を考えて中抜きの襖にして室内空間を柔らかく見せている。
前広間の棹縁天井の天井板は、伊勢神宮造営用の檜を払受けたものと伝えられ、長さ2間半で3尺幅の無節材である。
前広間から前座敷に向けて奥の細道日本庭園を見る。
吹き抜けにして上部に井桁に組まれた梁組は、寸法と曲率を揃えた材が使用されて漆が塗られ、梁組の上に二階の障子窓を開く特異な構成とし、天井は格天井で、格縁が黒漆で面を金箔とした豪華なものである。
そして、そこには時を刻む掛け時計も。
座敷は12畳半の前座敷と、床・違い棚・書院を備えた10畳の奥座敷から成り、左手には幅1間半の広々とした切目縁を設けた土庇を降ろし、その外に庭を造る。また、正面左端の隅には賓客をもてなすために4畳半の茶室が配されている。
床廻りや書院は意匠も斬新で、材には銘木が用いられて最上級の塗りが施されている。襖や障子も建具師や京師の技術の粋が駆使され、引手も七宝焼や地に名物裂を貼ったものなど変化に富み、欄間も四君子や老い松を題材に空間を生かして彫られた彫刻欄間や正絹に鰤の絵を描いた珍しい欄間等が嵌め込まれている。
天井も黒漆塗りの廻縁と棹縁に、2尺幅の屋久杉天井板を張ったものである。
各室の部材はすべて割れの無い十分乾燥された良質の木材と平滑な鉋仕上げの丁寧な大工仕事になり、そして、鏡のように光る上等な仕上げの漆塗りになる。
(解説:富山国際職藝学院教授 上野 幸夫)