濵元家 歴代当主

濵元家の土蔵に保存されていた資料から、14代目まで写真で辿ることができた。

明治時代の戸籍法が制定される以前は、名前のみの記録になる。

一番古い記録では、寛政12年 (西暦1800年)泊村「四郎三郎」との記録が残る。

この四郎三郎が何代目に当たるかは、定かな記録はないが、名前を代々受け継ぎ、第14代頃から名字として「濵元」をつけ始めたと考えらる。

新発見「法名の束」(2024/10/5)

濵元家は代々浄土真宗西本願寺派として代々の先祖が祀られてきた。そして、過去の2度にわたる大火にて、過去帳は存在しないと言い伝えられてきている。

約110年前に再建された現在の濵元家の家屋は明治43年の泊の大火後の再建とされる。

泊の大火時に水夫たちが、濵元家の仏壇を火事から守り外に出したとも聞いていた。仏壇の中は、今まで親族含めてあまり確認はしていなかったが、今回仏壇の中から、濵元家の先祖の法名の束が新たに発見された。約36名もの先祖の法名であり、現在詳細を調査中である。

 最も、古い年代で、明和8年(西暦1770年)の法名も含まれていた。



第14代 濵元 四郎三郎

安政6年2月10日〜大正11年4月25日

(享年63歳)

(1859/2/10〜1922/4/25)

孫(第16代 濵元 昇)と濵元四郎三郎(撮影時期;明治末期)


第15代 濵元 四郎太郎

明治6年5月4日〜大正6年3月1日

(享年43歳)

(1873/5/4〜1917/3/1)


第16代 濵元 昇

明治39年3月5日〜昭和50年8月6日

(享年69歳)

(1906/3/5〜1975/8/6)

早稲田大学卒業

(昭和初期自宅居室にて)


第17代 濵元 英一

昭和12年6月28日〜

(1937/6/28 〜  )

(2016年6月2日 東京で開催された G7 後のシンポジウムの席にて)

(At a post-G7 symposium in Tokyo, June 2, 2016)

1960年3月 早稲田大学卒業

1960年4月 日本テレビ報道局報道部

                        (司法記者クラブ、警視庁記者クラブ等ニュース編集長)

氷見ゴルフカントリークラブ支配人

灘浦定置漁業協会会長

日本定置網協会副会長

富山県定置漁業協会会長

氷見市漁業協同組合副組合長等歴任

有限会社ハーマ 専務取締役社長